監督のつぶやき?ぼやき!
第251話/ 2017.4.17
 

 4月15日(土)、16日(日)の2日間、合宿をしました。保護者のお金と労力をかけた意味があったのか?答えはこれから出てくるでしょう。

 大事なことは、お金と労力を彼らのために出してくれたことが当たり前ではなく、心から感謝しなければいけないことだと分かっていたか?その思いを胸に練習に打ち込めたか?これからの野球人生にプラスになる何かをつかめたか?そもそも一円も自分自身でお金を稼ぐことのない子ども達は、人のお金で野球をやるわけです。気を抜く、手を抜くはあり得ません。私の価値観で見ると、物足りない所だらけですが、今の段原クラブの選手達は「精一杯やりました」と言うのでしょう。

 試合形式の練習では、アウトカウント・ボールカウントを間違える、状況判断をしない、配球を読まない、常に言い続けている段原クラブとしての決まり事をしないなど、相変わらずの集中力の無さ、脳の停止ぶりを見せてくれました。何度も同じことを言わなければいけない、それでも意識しない、やろうとしない。

 なぜ?帰りのバスの中で考えました。私の中の結論は、信頼されていないということです。指導者(私)が子ども達に信頼・信用されていないのだと思います。この人の言うことは正しい、間違っていない。上達すると本当に思えば、簡単に忘れるはずはありません。必死で身に付けようとします。結局、私の指導者としての器ということです。その程度なのでしょう。私の技術・考え方は、子ども達にとってどうしても必要なものではないようです。

 グランド整備について私の考え方を書きます。小学校3年生ぐらいだったと思いますが、遠足できれいな川の流れている山に行きました。弁当を食べた後ゴミが少し落ちていて、担任の先生にものすごく怒られました。「来た時よりも美しく」その通りです。今も常に頭にあります。

 練習が終わりグランド整備のようなものをしていましたが、トンボでグランドに跡を付けるだけ。これは整備ではありません。私がこのグランドの管理人だったら、「二度と段原クラブには貸さない」そう思いました。グランドは平らに、水平に、足跡ひとつ無くす。「来た時よりも美しく」子ども達がやらないのなら、私がやるしかありません。責任者なので当然です。私がグランド整備をしたことを怒っているのではありません。

 育ちの違いを思い知らされ、悲しく思っています。小学生の時に野球(ソフトボール)と出会います。その最初が肝心です。大人が準備して試合・練習をさせて、終われば大人が片付ける。少し重い荷物は大人が運ぶ。本当にこれで良いのでしょうか。グランドに並んで頭を下げることより、しっかりグランド整備をする。どちらが大事はことなのでしょう。自分のために自分で使った物をきれいにする、ごくごく当たり前のこと。ましてや他人の物なのですから。貸して頂いた物なのです。

 ユニフォームが汚れることもなく、集中しているわけでもないのに「全力です」。グランドに感謝の心も無く、合宿の意味も理解しない。自分達が野球をするためにどれだけの大人が協力しているのかも考えない。

 価値観の違う人間が同じ方向を向くのは難しいようです。



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